病棟転換政策をめぐる基本的な問題に関するメモ
2014.6.7 藤井克徳
いわゆる「病棟転換問題」に関する基本的な問題について、以下に私見を述べる。意見等があれば寄せていただきたく、また自由に引用・活用してもらって結構である。
1.立脚点の不純さ
 「病棟転換政策」をめぐる最大の問題点は、検討に際しての軸足が「本来どうあるべきか」に置かれていないことである。一貫した立脚点は「病院の経営をいかに守るか」であり、加えて「現実策としてはやむを得ないのでは」「よりましでは」という古くさい論理がこれを後押ししていることである。
「本来どうあるべきか」と「病院の経営をいかに守るか」(以下、病院の経営維持論)は相容れるものではなく、それどころか病院の経営維持論が前面に出れば出るほど、本源的な政策が遠のく関係にあるのである。換言すれば、病院の経営維持論に立脚する以上、そこから何が出てこようが(どのような政策ネーミングが用いられようが、仮に、モデル事業と言われても)、それらは病院の経営維持論のカモフラージュ政策であり、病院の経営維持論を手助けする「まがいもの政策」以外の何物でもない。

2.本物の精神医療改革を一体となって
 なお、現行の精神医療政策は余りに貧寒である。根本的な改革が図られなければならない。ただし、その際の立脚点は、前述したような、「本来どうあるべきか」を見失った病院の経営維持論であってはならず、あくまでも精神医療を必要とする人のための改革であり、わけても他の診療科目との格差解消を前提とするものでなければならない。
いわゆる「精神科特例」の完全解消の実現である。これによって、短期入院処遇を主流とする精神医療が可能となり、さらには通院医療中心の精神医療に道を開くことになろう。こうした方向が本来の精神医療であり、それによってまともに経営できることこそが、本来の病院(医院)経営政策である。

 精神医療関係者は、姑息な「病院の経営維持論」にエネルギーを注ぐのではなく、正論としてのあるべき病院経営政策の実現への論陣を張ることであり、それを支持される環境づくりに奔走することが肝要である。むろん、精神障害分野に携わる非医療関係者にあっても、格差医療の解消とあるべき病院経営政策に関心を抱くべきであり、それの世論化・社会化に際して積極的で特別な共同行動を取るべきである。

3.主因を見誤ることなく政策立案を
日本における障害分野の、あるいは医療分野の恥部とされてきた精神障害者の社会的入院問題であるが、問題はその原因が正確に深められていないことにある。より正しくは、原因がおよそ想定されていながら、複合要素から成る原因について、原因(分野)別の関係者による一体的な論議の場が乏しいのである。結果として、主因があいまいになりかねない。主因の見立てに正確さを欠けば、そこから派生する政策は正確なものとはいえまい。

 今般の病棟転換政策はその典型と言える。社会的入院問題、すなわち病院から地域移行が成らない主要な原因をあげれば、
@地域での生活ならびに就労等に関した社会資源の量と質の面での不備、
A家族への負担のしわ寄せ
B所得保障や人的支援策を中心とした個人を支える福祉施策の遅れ、
C市民社会の無理解、根強い偏見・差別意識、
D精神科医療機関の経営問題(大量の退院促進政策は病院経営を圧迫し、医療機関従事者の身分を損ねる)、などである。社会的入院問題を本格的に解決しようとすれば、これらを同時に、少なくとも全体を視野に入れながらの論議でなければならないが、現行の縦割り審議方式はそれを許さない。

病棟転換政策は、以上述べたいくつかの原因でみると、最後の「D精神科医療機関の経営問題」のみに重心を置くものである。全体像を欠き、かつ病院生き残りという利己的な発想に偏っているとすれば、そこから生まれる政策はいびつにならざるを得まい。なお、7万人の社会的入院者の解消を提言した厚労省の「改革ビジョン」について、なぜ実現をみなかったのか、精緻な検証、総括が求められる。

4.気になる当事者不在の政策論議
 病棟転換政策に関する検討の過程で、最も気になるのは、一貫して当事者不在で審議が進められていることである。障害者権利条約と関連して馴染みになっている「 Nothing About Us Without Us (私たち抜きに私たちのことを決めないで)」の精神に背くことは言うまでもなく、この間の「障がい者制度改革推進会議」(内閣府所管、2009年12月発足、オブザーバー2人を含む26人の構成員のうち14人が当事者)の審議方式とも乖離するものである。

 政策というのは、しばしば「何をまとめ上げるか」以上に「誰がまとめ上げるか」が重要になる場合がある。事は障害者個々の人生に深く関係する問題であり、人生を台無しにした精神障害当事者の代表がどれくらい参加しようと多すぎるということはなかろう(実際には人数に限りはあろうが、発想としてはこのような観点が大切では)。また、発症して以来、負担と不安を共にしてきた家族も当事者に含まれるべきである。

 なお、「当事者の参加」については、関連政策審議への直接参加以外に、正確な実態調査等を通しての間接的な参加も重要となる。正確な実態調査の基本は、精緻なニーズ把握であり、調査の設計段階からの当事者参加が肝要である。「役人は数字を作る」という言い方があるが、社会的入院問題の解消に際しては、こうした感覚を微塵も抱かせることがあってはならない。

5.「二重の不幸」はいつまで続く
 病棟転換の下での居住系事業をもって「地域移行」が成ったとすれば、「地域移行」の概念が変質するだけではなく、この国に「院内地域」「院内住宅」という奇妙な概念の形成を許すことになる。国際的に恥をかくことはもちろん、それに留まらず後世からみて「あの頃の関係者は取り返しのつかないことをやってしまった」と、未来の後輩たちにも恥をかくことになろう。

 かつて、呉秀三は、当時(明治期から大正期)として珍しくなかった「座敷牢」に隠ぺいされていた精神障害者をもって、「病を受けた不幸に加えてこの国に生まれた不幸を併せ持つ」と評した。今般の病棟転換政策は、「現代版座敷牢」とも揶揄されるもので、「二重の不幸の恒久化」につながるものと言えよう。なお、先に批准をみた障害者権利条約からみても、病棟転換政策は解せない。権利条約の関連条項(第19条を中心に)に抵触する状態が許されるとすれば、それは条約の無力化も同然で、批准された権利条約の価値そのものを損ねることに他ならない。
6.障害関連政策後退の新たな起点に
 既に述べてきた通り、病棟転換と言う異常な政策は遅れた精神障害者政策をさらなる深い闇へと引きずり込むことになろう。問題は、この異常な政策が独り精神障害分野に留まらないということである。障害関連政策全体の最低基準の引き下げに影響することが懸念される。身体障害分野や知的障害分野に対して、「みなさんは、あのような精神障害者が置かれている状態と比べればまだましではありませんか」と言われかねない。

 今、障害分野がこぞって力を入れるべきは、障害関連政策の中の遅れた部分を改善することである。なぜならば、一つでも遅れた部分を残すとなると、それが障害関連政策の最低基準になってしまうからである。換言すれば、遅れた部分の解消は障害関連政策の全体的な底上げに連動するのである。今般の病棟転換政策は、こうした方向とは全く逆で、障害関連政策の最低基準の下方圧力以外の何物でもない。障害関連政策全体としても黙過できない由々しき動向なのである。

7.病棟転換問題を広く市民とともに
さらに言うならば、病棟転換の問題は今日の社会保障政策全体の動向と関連してとらえることが肝要である。生活保護政策の引き下げ強行など、現政権の社会保障政策の後退は目に余るものがあるが、病棟転換問題もその本質は一連の社会保障政策の変質路線に合致する(昨秋の社会保障プログラム法の流れに沿うもの)。
そういう意味では、病棟転換問題は今日の社会保障政策全体の後退の象徴的な問題に位置付けられよう。この問題を食い止めることは、少なくとも社会保障政策の改革や後退を許さない運動に大きなエールを送ることになる。社会保障の発展を願う広い市民層と病棟転換を許さない取り組みは十分に重なるものであり、接合面を大きくしていくことに努力を払わなければならない。
ポプラの会Topページへ